History & Tradition
月桂冠の歴史と伝統①
設立当初(1637年~1800年前半)
徳川三代将軍・家光の時代に、月桂冠の前身「笠置屋」は京都伏見の地で酒屋を創業。伏見は城下町、港町、宿場町として発展し、交通の要衝としてにぎわいを見せるようになります。しかし、幕府の減醸令による酒造制限や、京の市中への他所酒の移入禁止、鳥羽伏見の戦で伏見の街が兵火にみまわれ、伏見酒には苦難が続きました。江戸期の笠置屋は、地元を中心に商う小さな造り酒屋で、その生産量はおよそ数百石(1石は180リットル)にすぎませんでした。
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1637年9月 初代・大倉治右衛門が伏見馬借前で酒屋を開業。屋号を「笠置屋」、
1828年6月 8代目の治右衛門が「倉」を普請する。1833年(天保4年)には「造り蔵」、 1840年(天保11年)には「居宅」と相次いで普請する。 |
1800年後半~1900年前半
1800年代後半に入り、伏見酒は全国へ広がります。11代目当主・大倉恒吉の時代、1905年に「月桂冠」を採用。当時、目新しい酒銘と認識されるようになりました。1907年には研究所を設立。酒造りに科学技術を導入する端緒となり、樽詰全盛の時代に防腐剤なしのびん詰商品やアウトドア商品の先がけとなる「コップ付き小びん」を開発しました。同時に「品質第一」をアピールします。博覧会での数々の入賞、鉄道での販売により、「月桂冠」の名は広く知られていきます。大倉恒吉の時代の生産量は1850年頃から100倍に当たる50,000石にまで伸びました。
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1886年 大倉恒吉が13歳で家督を相続し、11代目当主となる。
1892年 東京方面への貨物輸送に鉄道を利用しはじめる。 |
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1893年 醸造高が1000石を突破(1115石)。
1897年 酒銘「鳳麟正宗」を商標登録。 |
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1899年11月 灘酒を研究するため、同地で借蔵醸造を始める。
1901年1月
米国・ハワイホノルルへ清酒を輸出。
1902年 ハワイ、ホノルルへの輸出を開始
1905年 勝利と栄光のシンボル「月桂冠」の酒銘を商標登録する。
1906年 南蔵(現在の内蔵酒造場)を新築。
1907年 醸造高が10000石を突破。
1908年 酒銘「大賞」を商標登録する。
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1909年 醸造高が15000石を突破。
1910年 駅売酒「コップ付小びん」(大倉式猪口付びん)を新発売。販売の広がりに伴い、全国に月桂冠が知られていく。 |
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1911年
「防腐剤ナシ」の封緘をしたびん詰酒を発売。
1912年 大賞蔵を新築する(薩摩藩伏見屋敷跡、現在は月桂冠の関連会社・松山酒造が操業)。
1915年 アメリカ、サンフランシスコ万国博覧会で名誉賞を受賞。
1916年 台湾への輸出を開始。
1918年 サイパンへの輸出を開始。
1925年 シンガポールへの輸出を開始。
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1900年前期
個人経営の商店を改組して「株式会社大倉恒吉商店」を設立。研究成果により褐色びんを採用、冷房付鉄筋コンクリート造りの酒蔵や、本格的びん詰プラントの設置など、酒造りの近代化を進めました。
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1927年 個人経営の商店を改組し「株式会社大倉恒吉商店」(社長・大倉恒吉)を設立。
1929年 全国新酒鑑評会で「第1位」「第2位」「第3位」までを独占。 |
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1931年 本格びん詰プラントを昭和蔵構内に設置。
1933年 中国潘陽に出張所開設。
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1934年 冷用酒(一升びん、700ML、300ML)を発売。
1938年 中国潘陽出張所が支店昇格。天津での販売開始。
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1940年 中国撫順醸造工場を譲渡され、現地生産開始。
1942年 朝鮮、清州高見酒造を買収。現地生産開始。
1944年 「大倉酒造株式会社」に社名を変更。 |
1900年中期~1900年後期 >>>